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私の心に残ったことば

毎日のあふれるような情報の中で
また 遠い想い出の中や愛読する小説の中で出会った珠玉のことばたち

ことばは言霊
 

2006. 5.25

「なんであろうと、口から出た言葉は消すわけには参らぬのです。
人は自分の生きて来た道が気に入らぬからといって後戻りはできません。
自分に鞭打ちながら、償いの道を歩いて行くしか方法がないのです」

平岩 弓枝「西遊記」より三蔵法師のことば

白虎嶺に住み着いた白骨夫人という妖怪が三蔵法師を喰おうと
人の姿で近づくが、見抜いた孫悟空によって倒される
しかし、人の姿をしているために、孫悟空の乱暴と思いとうとう破門する
孫悟空は破門されながらも空腹の師匠のことを案じ山神に粥を届けさせる

妖怪だということにようやく気づき、孫悟空のいうことを
信じてやらなかった自分を恥じる三蔵法師だった
花果山に迎えに行くという悟浄に
「それはできません。おろかな私の言葉は悟空を
どれほど傷つけたか」と
 

西遊記というと、テレビでの俳優の個性があまりにも焼きついてしまって
新聞での連載が始まってもあまり読む気がしなかったが
しかし、だんだんと引き込まれてしまった
この言葉はすごく心に突き刺さった

 
2005. 4.29

『手を打てば 鯉は餌()と聞き 鳥は逃げ 
女中は茶と聞く 猿沢の池』
                            


多川俊映
   

手を叩くという行為一つを取ってみても、
それを受け取る側の状態

 条件の違いでこれほど意味は異なってくる。
つまり、耳から聞こえる音、

すなわち耳識(にしき)は同じでも、
意識の差でその理解の仕方、存在のあり方が
これだけ変わるのである。  

                               小室直樹
著より

あることから、受け取り方が信じられないくらい食い違う
という経験をしました。
そんな時このことばをさりげなく示してくださった方がいました
すごいなあ・・・
自分がこう思ったからとて相手はそう思ってはいないのである
 

 

2004.11.12

「しかし、僕は驚いたね。
愛というのは、心から好きになることじゃないんだってね。
むしろ相手のためにはこうするほうが一番いいんだって、
理性で判断したその結果を行動に移すことを
自分の心に命じた状態なんだってね。」

毎日新聞朝刊小説「哀歌」 曽野綾子源作より

主人公は修道女として動乱のアフリカの地で
教会の下僕だった黒人に犯されるが、運良く日本に帰り着く
だがやがて妊娠していることに気づく
殺すことなかれという信仰と、生まれた子供を
憎んで殺したくなるのではないかという気持ちに揺れていたが
このせりふを言った命の恩人があるがままの運命を
受け入れるべきと思っているのだという確信をもち産む決心をする
そして彼を愛していることに気づく
これはキリスト教のことを勉強した彼が「
アガぺー」というギリシャ語について
語る場面の言葉

生命を奪うことはいけないことだ
だが生まれてきた子どもは幸せなのだろうか・・
暴力ではらませられた黒い子を愛せるのだろうか
目が離せない曽野綾子さんの信仰の世界だ
 

2004.8.13

日本人の胸中、猶ほ未だ熱き同情の存する

内村鑑三

関東大震災の救援活動に感激した内村鑑三のことば

7月に起きた「福井豪雨」の被災者へと宝くじ2億円を
匿名で寄付した篤志家には全国民が度肝を抜かれました
毎日新聞の余禄にこんな記事がありました


「人の心は時に、ちょっと現実離れした奇跡を起こすことがある
それを教えてくれたのは宝くじの篤志家だけではない
炎天の福井や新潟の被災地を訪れた2万人以上のボランティアもまた
被災者ばかりではなく、それを見守る日本中の人の心に小さな奇跡を
起こしたように思える
「日本人の胸中、ほ未だ熱き同情の存する」
とは、関東大震災の救援活動に感激した内村鑑三だ
いつの世も「人情はすたれた」と嘆く人はいる
だが「そんなことはない」今度も、人々の善意と献身は
そうはっきり示してくれた」

阪神淡路大震災の時も、全国各地からボランティアが
矢も盾もたまらず駆けつけたのです
私は現金を寄付するくらいしかできなかったのですが
天災はいつ自分の所に襲い掛かるかわからないとおもうと
とても人事だと思えませんでした
そして被災地での復興は、驚くくらい混乱がなくて
日本人の気質の素晴らしさを感じさせてくれました

2億円には本当におどろきました
内心、もったいないな〜と思ってしまいました
きっと私だったら一部だけだった?それとも?
どこの誰かはわからないけれど
素晴らしい心を見せてくださってありがとう!

 

2004.8.1
 

踊りなさい、まるで誰も見ていないかのように
愛しなさい、まるで決して傷つくことのないかのように
歌いなさい、まるで誰も聴いていないかのように
生きなさい、まるで地球のうえの天国かのように

                             〜William Pukey〜

               トスカーナだよりの「今週の知恵より」

イタリアのトスカーナでフランス人のご主人と一緒に
個人ガイドをしている清美さんは祖国を離れて30年も
過ぎるというのに素晴らしい言葉を紡いでメルマガに
載せて届けてくださいます。
清美さんが選んでくださる今週の言葉にもいつも感動!
すぐ手の届くところにあるような気がしてしまうイタリアの生活
いつか絶対行きたい場所

2004.7.14

「十人の子を養う親はいても一人の親を養う子はいない」

母の口癖だったことば

年をとった母が痴呆になって筆舌に尽くせぬほどのいろんなことがあった。
跡取りの長男を失ってもそれさえわからない母のことを
わたしがみることになって、つくづくこの言葉の重みを身にしみて感じる。
子供には、たった4年の大学に何百万の大金を使っても
何も惜しいとは思わないのに、親のことは誰も出したがらない・・
きっと神代の昔からの真理なのかも・・
親はみな、子供の捨石になって朽ち果てて
それはそれでいいのいくのだろう。
因果は巡る・・

 

2004.5.22

「ああ、お母さんが作ったからオニマンジュウっていうんだ」

息子が3.4歳ころ、思わず発したことば

子供が幼い頃、手作りのおやつを心がけていた。
サツマイモがとれる頃になると「鬼饅頭」をよく作ったものだ。
ちょうどその頃怖い話を聞かせてもらいたがった子供たちに
ふざけて「お前たちのお母さんは本当は私ではない。これは鬼なんだ。
お前たちのお母さんはわしが食べてしまったのだ〜〜」
などと脅かしてきゃあきゃあと騒いでいた。あの頃はデブゴンを
よく叱った(怒った)。その姿はきっと鬼のようだったのだろう。
下の子供たちにもいろんなトラウマがあるのだろうな。
 

2004.5.9

「老人とは頑固で自己中心的で、わがまま専横になっているのを
棚に上げて、憂国の士は自分独りと憤慨する。
自分に都合の悪いことはさっさと忘れ、人への恨みは執念深く
根に持っている。」

瀬戸内寂聴

毎日新聞「時代の風」より

「こんなに堂々と老人の悪口が言えるのは、自分もまたれっきとした
82歳の老母で・・・」
なんてすごいことばだろうか。
また
「老人は体の自由がきく間はつとめて内にこもらず外へ心も
体も向け、奉仕される側にばかり期待をかけず、倒れるまで
社会に奉仕する覚悟を持つのが、どんな若返りの薬より
若くなる鍵であると思う」
 

母のようにボケるのではないかという
不安を持っている私には82歳にして
歌舞伎の「源氏物語」の脚本も手がけるという
この人には感嘆するしかない。
いろんなところで社会情勢について
自分の考えの正しさをとくとくと語る老人をみるが
ではあなたは何を社会に対して貢献しているのですかと言いたくなる。
なんにしても人生の折り返し地点も過ぎて
これからの生き方が非常に大切になってくると
身の引き締まる思いだ。

 

2004.4.21

「サンゴ ニジュウイチ」

「自分も娘たちのお産のあとは『産後ニジュウイチ』と言って
さっさと引き上げようと思う。」

中井貴恵

「君の名は」で一世を風靡した佐田啓二が6歳の彼女と
2歳の弟中井貴一を残して亡くなったのは
彼女たちの母がまだ36歳のときだった。
それ以来再婚もしないで二人の子供を育て上げた。
怒るととっても怖いお母さんだったという。
彼女の初孫に当たる娘を14年前に産んだとき
東京から北海道まで産後の世話に来てくれたが
21日たったとき「帰るわ」というので慌てて引き止めると
「産後は21日よ。あとは一人でやんなさい」と
笑顔で誰も待つ人のない東京に帰って行ったという。
翌日からはてんやわんやしながらもなんとか
自分で子育てをし曲がりなりにも家事や育児を手抜きしながらも
やってこられたのは母のおかげだと思うという。

最近は母親が娘を甘やかすことが多くなった・・
私もこのことばを忘れずにいようと思う。

 


2004.4.20

「人はみな清らかになるために
年をとっていくのね」

フジ子・ヘミング

絶望の中でも人生を受け入れてきた
彼女の生き方に思いを馳せながら
「ラ・カンパネラ」を聴くと
いつの間にか涙がにじんでしまう
まさに奇跡のカンパネラ

 

 


2004.4.18

「あの年頃の子供(17歳)は他人が思っているほど子供じゃないし
自分が思っているほど大人じゃないのよ」

テレビドラマ「鍵師」から

 

 


2004 4.15

「戦は今日ぞ限り、者ども、少しも退く心あるべからず。天竺・震旦にも
日本我朝にも並びなき名将勇士といへども、運命つきぬれば力及ばず
されど名こそ惜しけれ。東国のもの共に弱気(よわけ)見ゆな。
いつのために命をば惜しむべき、是のみぞ思ふこと」

激流渦巻く壇ノ浦で、栄華を極めた平家も源氏に滅ぼされるその時を迎えた

平家の総大将、新中納言、知盛はいよいよこれまでと幼帝に
波の下にも都のさぶらうぞ」と入水を促し

「見るべきほどのことは見つ」
と言い残し家長とともに海に沈んだ

「平家物語」から

この前みた映画「ラストサムライ」を思い出した
栄華もやがて儚く消ゆる